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何度も終る夏、果報は寝て待て


by shintarooue

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午前4時

 人はどれだけ目を持ってもノごとを客観または主観でもいいが観れるのだろうか?

見る側の状態により見えるものが違ってくる。 
体調、欲求、考え事、勿論、作品がそれを吹き飛ばす事はアルであるろうが。
わからない。
わかってるもノを観ても仕様がない。 過去を確認、認識するのであればいいが。
座る位置。
劇場は自分の持っている状況にあわせてすわれるところがいいのではないだろうか? 自由席で客の座り方、位置取りを観てみるのも悪くない。
やはり、落ち着きまたゆとりを持って何かに浸透するためには、生理的時間をうまくつかわなければならない。
評価、評論、意見、罵倒、 悪いもノほど、耳を傾ける。 それは、向こうも何かたまってきたもノを吐き出しているからだ。 吐き出すにはよっていて自然に出てくるか何らかのPUSHが必要である。 生理的現象と同じである。  

 しかし、自分の言葉を書くというのは大変である、 珍奇や奇抜ではだれもわかっちゃくれない。まとめすぎたりこびたりすると、己を失う。 失うとは共有ともかさなる。 わかる事理解したと思った事がどれほど、オリジナルなんであろうか?

ダンスが浸透することは、いい意味でも悪い意味でも困難と希望をきたす。 身直にそして少し足を伸ばしていろんなもノを観て、自分と対話する時を増やせば、自ずと自分あるべき姿、場所、やり方生き方がみえるのではないだろうか? 勿論、一寸先は闇をその都度忘れないでおく事は大切である。 

もノごとがわかり始めると、またそれでクウやつらは、こけないとわからない。 こけたところを指差されるのは本当にリップクしてしまうが、そういう時は、ハクチで乗り越えよう。

わかって理解する。 怖い、でも繰り返し疑問し答えし、そうすればいつも生きてゆける。
たまには、からだにわるいもノをいれることでよいもノはなんなのかわかる。

言葉はしゃくに触る、しかしこのしゃくに触るのも、私というもノが会ってそしてそれを糧にしていきたい。 ただ、なにげなくつくってるわけじゃあないので、いい加減な講釈がしゃくにさわるのである。 言論の自由がよびおこす、カオスである。 

目で見たもの以上のものを、コチラは想定、計算している。 だから刺激または不快、なども、裏をかえせばいいのである。 そういうふうにみれば、金を払ってみてやっとわかるんだと思う。

ただプロミさんたちは、 平常心をたもつため、そういったいっさいの生活的感覚を排除する。 なにもくろうすることがなくなったヒトビトが、時間をもてあそびつつ、初めて「人とは?」 と考え哲学が始まったと考えるととても皮肉ではある。

自分の心体をとおして、身体として、建てる碑がくる事を目標とする日。
by shintarooue | 2006-12-26 12:38 | 私語