何度も終る夏、果報は寝て待て


by shintarooue

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主題なき時代







   WORKSHOP [syudai naki jidai]
  
   主題なき時代 「痛みのわからないものたちへ」
 
   主題がないと申したが出発点は「痛み」です。社会的(イジメ、ブッシュの核国に対する破壊、家庭内におこる不和、子供と親、かくお偉い方のしぶり、)ににも問題になっています。ただ「痛み」とは、各個人から生まれるものではなく社会的現象ととらえる事もできますので個人と社会という二つの目を通して模索、そしてまた痛みの裏にある喜び(単なる経験的観点から)もふくめて、バランスをとりながら、まずこのworkshopを実行する意義、ならびに関係者にご協力をお願いいたします。



   時代を背景とした考査
    一時代前から続くインポートそして少なからず企業支援や助成のおかげでダンス人も豊かになった。 豊かになった背景には今までになかったものをみんなが追い求めるという原動力があり、其れを共有の価値観として理解してきたところがおおきい。 しかし個々数年で、ダンスという枠組みがゆらぎ、(ダンス=踊る、先ず踊る、努力、美しさ、感情、音楽、総合芸術、あーわからない)そして基本的価値観(動き、身体的、心身的感覚)がにぶっているようである。これは逆に表現者と見る側が、違うものを観ているからではないだろうか?

    真に踊るとは、自分をその行為によって模索し理解することである。そのためには、身体を自然の法則(重力など)としてとらえ、また心体によってその法則に逆らう反発精神をもち、双方にバランスを保つ。自分を内と外から見る。
    
    たようなダンスが生まれてくる事は、多様化し細分化する社会現象と同じである。ただ此所に少しの問題が浮上してくるように思う。 それは、今の社会を見れば此所に問題提起する必要もないはずである、用は基本が忘れられているのである。 作品や発表が個々のテーマを持つ事、そして其れに必要な身体があるわけではあるが、逆に我々の身体に対しての意識が低下しているとすればどうなるのであろうか? 此所に書く「身体の低下」とは、運動能力や、特別な能力をさしてはいない。わたしが意識化したいのは、落ちて行くという事(自然の法則より)起つということ(反発精神より)この二つ、そしてこの2という2進法(古代神話、コンピューター)を使う事で、初心にもどりあらたなダンスを模索、試作する上での大きな基本となるはずです。

    さて、この法則がどのようなものに当てはまるのか、私という一つの個体を問うし,さがしてみます。
     一般にバレエと呼ばれるものまたは其れに関連する動きスタイル(アレクサンダーテクニック、リモン,カニングハム、キリアン、フォーサイス:最近はちょっと違うかも、)は、身体を普通の状態よりも意識的に上方向に使いまた、重力の中にあって重力を感じさせない事をよしとします(ポアント、ルルベを使う事がそのよい例)。
    
     対局にはいろいろとありますが、マーサからはじまって、フライングローなど、下方向、そして重力にたいして反発するというよりは折り合いを付けて行くというものがあります。わたしは、両方を、時には単独にまたある時は同時期に経験しそのなかで、多様性の必要性、そしてそのなかで、古武術、ヨガを基本とする動きに今自分をおいています。
    
   
   何故この二つなのか?
    まずヨガのクラスを受けられるとわかる事ですが、力の流れが制止をしている体内に動脈と静脈の働きのように呼吸(すって、はいて)とともに動きます。これが内なる力の根底にあるものでその流れを外へと還元しコントロールすることで自分の内と外を体を張って理解できます。
    古武術の基本は、見せないということ、0からの出発、無駄口たたかず、むやみやたらに力を使わぬと言う事(もっとおくはふかくなり)。 
    では見せぬという事から。一見見せぬという事が見る側になにもの、をもたらすのか? これは其れを観ない事には話にならず、またみえるということは目で見ることだけにおわらず、身体の存在がそこにまずあり、その個体をみつめることによって見る側自身の心体のありかたがみえるのではないでしょうか?勿論観られる身体はそれに耐えられるだけのものでないとこれは成立しませんが。(美しいとかそんな事ではないのはわかりますよね)
    0からの出発については、動きの起源、0。 静から動そしてまた静。 赤ちゃんが歩くという事学ぶときに繰り返す過程(落ちて泣いて、平常心、またたちあがががが、落ちて泣いて)。 0舞台。いろいろなものを創作過程をとうして0。 極限状態=0への挑戦
    0は存在するのかいなかは、多方面から模索するとやはり答えは出ない。始まりであり終わりであり、表記できしかし存在を確認不能であり。 
    力んだ筋肉は咄嗟に使用できない。だからできる限り力まずなるべくそうしている事さえも見せないように平常心。 力学的にみても、使用中のもは、利用できないのと同じく、筋肉は力が入っていない方が使い勝手が増え、柔軟であることがよりいっそう好ましい。 此所で使った固有名詞(筋肉、身体などは心にも置き換えられる。)

    こうして見ると何かにつけて2進法である事に気がつかれたかもしれません。 またこれはYESかNOかという決断ではなく、yesとnoが同時空間に存在するということです。それは回転する板の裏と表にそれぞれの言葉が書いてあったと過程し高速(頭脳はコンピューターより性能が良い)で意識化し、それに追いつけと体が反応すれば可能なのです。見た目にも両方が見えるところを想像してください。

    さて古武術とヨガがどのようにして融合し身体そして心体をしげきするかは、workshopを通して学んでいく事ですが、ここに、今まで模索そして実行してきたトレーニング(そう呼びたくはない)を書いてみます。 

     先ずは歩く、床にそうように、自分がどのように方向や重心を変えているかを足の裏を通して理解を深める。スピードをあげてゆき、人々とぶつからぬようにそしてぎりぎりまで身体を他の身体に近づけるという2つの課題で。そして其れを後ろ歩きでおこなう。 感覚は後ろの方が弱いのは想像がすぐにつきますが、そこに模索することによって後ろの方が逆に見えないという事で他の感覚器官を刺激し、そのうち縦横無尽となります。また右左を理解することで、後方の視野事態も広がりをみせます。この単純な動きにもいろいろと試行錯誤しえる事柄あると思います。よく舞台で走るという行為が様になってない事を観てもわかります。ここに落下(赤ちゃん参照)を加える事で基本の「き」を学ぶ事ができます。しかし鍛錬がなければ何事も無意味になりますが。

    シンタイ(両義的意味合いがあるので此所からはシンタイと書きます)を問うして、作品を模索している私がおり、ゆえ、シンタイの両義的意味合いの間に挟まれている私もいます。WORKSHOPをいろいろな方面の方々と接した体感することで、皆さんにとっても学び多き日々となり、私にとっても次回作品の構想をかねられることとなります。 損得勘定はないですが、今此所にある自分、他者を通して存在する自分そしてその自分を問うしてみられる方々の心への還元を実行するためにこのWORKSHOPの意義があると思います。  


   2006、11、17        大植真太郎

   
    

     
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# by shintarooue | 2006-11-22 02:53 | ダンス特有